メインフレーム

 ベーシックな仕組みはだいたい合っているが、それだけではどうもうまくいかないから、それを補う意味のサブシステムを考えるべきだという考え方と、もう根本的にこんな仕組めでは立ち行かないから、その抜本的なことを変えようという考え方は、発想からして違う。
 その仕組みがないと立ち行かない既存のシステムというのがあるとして、その実その仕組みに、精神的にぜんぜん依存していないような仕組みは、時に必要悪とか言われたりする。そのような仕組みを前にして、何かをより良くしたいと考えるとき、抜本的な改革が叫ばれる。そんな議論をよく耳にするが、代替としてのメインフレームにあたるのが、食に風景や美、詩を結びつける作業から生まれる何らかの価値観ということになる。
 わけわからんと。簡単な説明は、食に風景や美、詩がないときにどんな問題が生まれただろうかと言えばいいのだろうか?

脳ミソに釣り糸をたらす

 ぼんやり考えていたのは絵と詩と食。
 描かない奴に何がわかるのかな、ってことや、今日作った料理から、ああ気持ちが開くってのはおいしい料理食べてるときなんだよな、って自分が思ったことでどういうことなのかってこととか。
 理想のない現実主義者ってのはいくらでもいるからね、それは最低ってことだからね…脳ミソに釣り糸をたらしてるんですよ…
 目の前で宮崎駿。子どもたちに何を伝えたいってのはないですよ、映画作るので精一杯、何を伝えたい、命の大切さ伝えてたいってんなら、それを言葉で書けばいいでしょう、そういうものはすべからくいかがわしいですよね……

 宮崎駿は取材中すぱすぱタバコを喫っている。
 論理でこれはこうだ、と何かを詰めていく作業は、自分の場合もう終わってるのかもしれないと思う。しかしそうすると、自分は何をすればいいのか。たぶん現実的には、論理で自分がアタマのなかで詰めたことを忘れないようにすること。これまでと同じつもりでいるとその詰めたはずの論理がまた、ボクの場合変化していく。それは循環して、だいたい何がなんだかわからなくなっていく。……う〜ん。
 そうしなくてもいい何かのツボにはまっているのにね。
 意味不明の展開失礼しかしどうもアタマん中を、もう少し壊していかないと、いけないんではないんではなかろうかと……
 そのなかで、千倉海猫堂?の主人であるそうな、の山口マオのことも思い出していた。彼は絵描きである。元気でいるんだろうナァ…

 あ、あと写真だな。絵と詩と写真、そんなもんが食と矛盾しないで共存していくような風景だな。

風景、美ってなんだろう

 食と農を考えるポジションとして、風景と美を置きたい。
 食と農をそのことだけで根を詰めすぎると煮詰まってしまう。たとえば世界共通のモノサシは何かという宿題をもらって食なり農業なりそれぞれ単体で答えを捜していったら、食はファストフード、農業は貿易協定となったので、そこで運用されている約束ごとをクリアすれば何でもいいんだ、にそれぞれがなり、その網の目がザルだったから、偽装だの病気だの、誰も知らなかった広大なジャングルがハンバーガーの牧場になってしまったりと色々なほころびが出た。ので、環境に配慮、ISO、HACCPそしてトレーサビリティがやって来て、より高度な管理が社会的に求められるようになったし、リスク管理とその責任の所在について社会的な合意も形成されていった。
 これは良いことなんだろうなと、一旦は思いもするが、立ち止まって考えると、僕にはそれが、食なり農業なりの業界の中だけで、それぞれが偏執的にコトを複雑化させているような、異様な光景に見える。
 昔畜産関係の仕事に携わっていたとき、と畜場に何回か足を運んだことがあった。目の前で殺されていく牛を初めて目の当たりにしたときのショックも、時と共に薄らいでゆく“慣れ”という感覚を知り、人間は怖いものだなぁと思い、同時に逞しいとも感じたものだが、それと同じような構造が現代の問題解決の手法に連綿と横たわっていると思うのだ。食と農業がブラックボックス化している、と言えばいいのだろうか。
 僕は食や農業がなぜ風景や美と無関係になれるのかを考えたいと思う。

文脈主義からどんどん脱却だ

 思えば僕は、けっこう長い間文脈主義に囚われていた気がする。
 それは第一に、有機農業運動というものが文脈主義そのものだった。第二に、学生時代から権力への批判的姿勢のような観念が体に染み付いていること。第三に、自分に甘く人にキビシイという性格。この3つが重なるとどうなるかというと、1961年の農業基本法以降の効率経済優先の農政が食の安全を脅かし国の基本たる農業を廃れさせている問題を民間の力で草の根で代案提示すべきと考えている自分は正しくて他はおかしい!となる。
 さいわいこの不動の3点セットは、例えば61年以降の農基法への代案に過ぎない有機農業運動がたかだか60年の歴史修正運動でしかないのではと疑問を呈したり、思考停止の国産至上もなんだかなぁと感じ始めたりした。経済やコミュニケーションというものが20年前よりははるかに便利になったり、不可欠の要素となっていく状況を、ある部分肯定的に捉えられるくらいトシをとってみたりした。スローフードという思考に鍛えられて世界を考えるようになったり、何より自分はだらしないなぁとひしひし感じ入るようになったり……と、少しずつ自己消化されていった。
 昔の自分は同僚にさえ「そういう考えは陰謀史観って言うんだよ」と批判されたこともあったくらい頭の中がガチガチだった。そして拙い自分の考え方が、時間と共にこなれていきながらも、ただ1点だけ、こなれないものがあった。それは人間関係という問題だった。とにかく文脈主義ガチガチだったから、農薬使うけど人格者の生産者と農薬使わないけど性格悪い生産者では前者!と言ってはばからなかったこの自分にどう落とし前つけたらいいんだろうと、けっこう長く悩んでいた。とか、人の感情を文脈を越えてもう一段高い次元にもっていくことの難しさを痛感していたり、要は無難なコミュニケーションの枠を取っ払える人間関係なんてそうそう増やせないから、実質自分の所属している社会での常識を引きずっていかねばならないなかなぁといった諦観も働いていた。まあ今でもあるし、ほとんど自力で完全脱却はできないことではある。
 昔から今日までそしてこれからも変わらないと思う僕の考えは、何とかして機能主義効率主義だけでは何も面白い世界は開けないだろうということなので、それと対置させ続けた人間関係の大切さにまつわる主義主張、思想信条すなわち文脈的なものの考え方、ぶっちゃけ“しがらみ”をそこから抜いてしまうと、じゃあ機能効率が勝ちになってしまうというヘンなジレンマをどうしたらいいのかということが、ここのところの大きなテーマだった。
 答えのヒントは、人ではない要素としての風景、美、知で、食に関する世界を自分なりに組み立て直して、その上で人間の営みとして農や食を捉えたらどうなるかということにあった。
 去年の夏あたりから浮んでは消えしたこのヒントから、このblogも始まったのだ。あいかわらず自己中心的で、他のヒトにはどうでもいいようなとりとめもないヨタ話が続いているが、自分なりに色々な本を渉猟して、とにかく頭のなかの試行錯誤は失わずに来たと思う。
 脱却のキーはたぶん、感覚と感情は思考の中で共存する、という茂木健一郎さんの卓見(当たり前のようでいて僕には卓見!)にある。
 突拍子もないが、要は感覚というものは(官能、快楽も含め)文脈主義からは独立し、言葉やロランバルトの示すところのエクリチュールからも可能な限り遠ざかって、人類太古の記憶にその源を求める知的営為として“食”の分野において求めていっていいということ。一方コミュニケーションにおいては、“共感”という感情をしっかり大事にして、他者に対して理解を求めるという常識から離れずにいましょうということ。
 ホントに、気が付いてみると、こんな当たり前のことどうしてわからなかったんだろうと思う。それだけ僕は時間をムダにしたことになるし、あきらめずにいい経験したということにもなる。
 なぜ僕はこんな(はたからみれば)バカげた寄り道をしなくてはならなかったんだろう。
 それなりに根が深い問題だったとはいえる。コミュニケーションにおいてまず共感が生まれて、そこから主張がまとまっていくと同時に様々な不文律も生まれる。ある部分が思考停止に陥り、異質な考えが排除される傾向も風潮をなしていく。ましてこの時勢、日和見的な空気もひしひし感じていたし、理をもって会話するということも僕の属する世界では機能不全に陥っていた。そこで僕はある部分壊れたんだと今振り返る。ここらへんはナマな話もあるので多くは語らないが、とにかく僕はここ1年、1年半年、blog開設から今日まで、人と共感しあうという“感情”を、まったく忘れていたのだ。
 さて、こんなに長い期間だったから、そう簡単には元に戻すことはできないが、みんなにはこの場を借りてあやまろう。ごめんなさい。そして僕は、文脈主義を明るく脱却していきます!第2ステージに突入だ……

幼児化という言葉

 最近はまっているのが茂木健一郎シリーズなのだが、以下思ったことは本ではなくて何かの講演記録で話されていたことからの連想だ……
 講演で茂木さんが言っていたのは、“美”というものは個別的かつ主観的なものなので原理としてひとくくりに出来ないのだ、というよなことだったように思う。これに対し全体的で客観的なものが科学であったり、ようは数値化してなんらかのモノサシで測ったものとして相対化してしまえるようなことども。翻って“おいしさ”はもとより、人それぞれの体験というものすべては、個別的で主観的なものだから、括ることはできない。同じ感情を共有することはできないのだ。
 しかし。
 人はそれぞれだから、人それぞれに考えもあるだろうからと、物事を正面から語らなってしまうことや、ほんとうはそれぞれが心に考えももっているのに話さないことに慣れること、なによりそのような状態でもとりあえず生きていけること、肝心な問題に手をつけずとも済む状態にいて、とりあえず無難な会話のみが進んでしまう状況、とっつきやすい物事(共通項の多い全体的で客観化できやすいもの)にのみ合意が形成されていくこと……。などなどがオリモノのように深く深く積み重なって、様々な因果関係に対して思考停止に陥ってしまうことを、一言“幼児化”という言葉で切り捨ててみたかった。進歩ないじゃん。
 ごめんh

可能性を示す

 長い引用だ……

アーティストは創造力を形にする。創造力を日夜思い巡らして生活しているので、世の中が正解と間違い、〇か×かだけではなく、たくさんのオルタナティブな道があることを知っている。アーティストの創造力はその結果や答えではなく、過程を大事に考え展開してゆく。アーティストは無から作品を創造する過程で何かの答えを探すのではない。過程で発見した真理を問いかけ続ける。
 つまり言葉にならない事柄を作品化していく。常に過去や現在から未来に向かって作品を作ってゆくし、その作品を作るためのモチベーションの多くは直感から示唆されるのだ。ときどき自分の作品のコンセプトをよどみなく、明快に説明してくれるアーティストがいるが、逆に直感を上手く説明出来ないアーティストもいる。もちろん明快な説明が出切るアーティストの方が観客はわかりやすくてうれしいが、説明が上手く出来なくても作品が圧倒的に美しかったりしたら、それで充分ではないかと思う。多弁であろうが無口であろうが、アーティストの頭の中には創造力に満ちたイメージがたくさん詰まっている。

 今の僕の場合、説明しづらい概念として、機能主義でもなく文脈主義でもない美的な存在が“食”と“農”のはざまに横たわっているということをどう形にできるかということ。“食”というものが(思想や経済から一旦離れ根源的に)美的に備えているエレメントをどう抽出して、どのように生産者に共感してもらえるかということ。その“食における美”という存在の入り口が“風景”だったり“料理”だったりするのはわかるが、人々が心を動かすような具体的な事例を示さねばならないこと。
 ……長い引用は現代アートの応援団と自称する山口裕美さんの『現代アート入門の入門』から。アートから離れて久しいが、今ってどうなってるんだろうなと思い出会ったアーティストの見方というものだ。なんだか自分に言い訳をしているようで気恥ずかしくもあるが、こんなことにやけに納得してしまうのだ。
現代アート入門の入門 (光文社新書)

イメージを追いかけることの答え

 もともと絵ばかり描いていて、そんな自分が食の世界に入り込んでしまったのは運のつき。それでもなかなかにこの世界はオモシロイ。自分が頭を働かせるのを面白いと思ってしまって、今日まで来たような気がする。それは、この世界にも言葉にならない世界があるからです。10年も前だろうか、栃木で堆肥ばかりつくっている信末さんのことを思い出す。言葉にならない世界の存在に、信末さんに出会って気づいたのだ。
 30年も土と向き合っている。朝早起きして、畑に行って、作物を見て、土を見て、今日はどんなことをすべきかの答えを出す、行動する、昼になってウチに帰ってごはんを食べ、また畑に出て、段取りを繰り返す……。こうした一日の中にいて、信末さんは、言葉を発するだろうかということを考えた。それは、信末さんという人が、人と話をするときはニコニコいつまでもとめどなく話しを続ける人で、いい歳なのにホント夜中2時3時になっても止まらない。それでいて次の朝は4時とか5時にはしゃっきり起きて、シゴトをこなす。
 その話の内容は、たわいないもののあれば、深刻な者ものもある。が、脈絡が全然整理されず、思うに、心に浮ぶイメージがほとばしってるとしか言いようがない。僕は、こんな片々たる内容なのに、どうしてこの人はあんな立派な堆肥をつくるのだろう、あんな立派な野菜をつくるのだろうと考えていて、ああ信末さんは畑では孤独なのだということに気がついたのだ。
 ひとりで作物の、土の声を聞き、信末さんの脳は、言葉という経路を経ず手に、足に指示を出す。その繰り返しで、すばらしい土を、すばらしい野菜を生み出す。言葉を必要としない世界がそこにある。言葉や、ある種の決まりを自分に課して行動するのではなく、作物や土の状態を感じ取って、計算し、即行動で表現する。たぶん信末さんは、自分の農業を、まず理論ありきではなくて、自分の行動の結果として説明し跡付けようと努力しているのだ。とうぜん、こうしたい、ああしたいという未来のことも、とうてい言葉で説明しきれるものではなく、出来上がりの図面のようなものを頭に思い描いて、それをなんとか伝えたいという、別種の努力をする。
 自分の心の中の未来と、仲間と共有すべき未来がこのなかで錯綜してしまうから、人との関係は混乱する。しかしはっきりと、信末さんの心のイメージは存在しているのだ。これは大切なことで、僕が絵を描いていた頃の心の状態と全く同じだった。それは期せずして、常に付きまとう自分の心の問題と同じものだった。
 そんなことに気づいてから、僕はこの“食”の世界が楽しくなった。
 それは時に「空想から科学へ」という言葉になぞらえたイメージだ。真っ白い何も描かれていない画面に、何の道具立ても準備せずに立ち向かって、格闘することを決意し、結果として何かの形を生み出すことの大切さ。その何もない画面にこつこつと、他の何者でもない自分を打ち込んでいくことの積み重ね。ひとつひとつの事柄に予断をさしはさまずに、しっかりとした解釈を与えようとする努力。それらは、いまだ体系化されていない有機農業の技術にもあてはまったし、“食”という人間の営みに枠をはめず思考したいという欲望のようなものとも似ている。しかしなかなか理解されない問題も多く精神的につらいことも多いというか、ああ僕は精神弱いんだなぁと弱音を吐くこともままあったりする。