おいしい村をよろしくお願いします

2011年はホントにいろいろなことがありました。 311の震災、原発事故では、被災された方のこと、自然の脅威、人災としての原発事故、 社会システムの嘘と限界、何もできない自分、頼り切っている私たち…… 石垣りんの詩編そのままに、私たちは、「やす…

引越しします

しばらくこのblogを、僕の“おいしい村その2…walk Around”に引っ越します。 引き続きご覧いただけるようでしたら、お手数ですがhttp://d.hatena.ne.jp/buonpaese/にブックマークを直してください。すんません。 これまで、地域のことや生産者のことなどをwal…

おいしさは言葉で表せるか

言葉は、私たちの食という体験の、ごく一部分だけに張り巡らされた粗い目安のようなものである…とても窮め尽くせないほど無限に広がった味の質感の世界…言葉ことが、人間らしさの根幹をなすという根強い考え方がある。そのような言葉中心主義をとると…言葉に…

おいしさと、脳のなかの感覚統合

…複数の感覚が統合される過程で、統合の対象となっている感覚からは類推が利かないような、新しいクオリアの次元が生み出されるのが、感覚統合のプロセスの本質…味覚に限らない。我々の感覚とは、既存の感覚の組み合わせが、全く新しい感覚の次元を生み出し…

エイサー

これは先週のこと。僕の済んでいる相模原のとなり町の町田でエイサー祭りをやっているというので家族で見に行った。9月に入り凌ぎやすい涼しさになってきたなと思っていたら、この日はまるでエイサーを盛り上げるためのようにムチャ暑く、真昼間、アスファ…

なぜ、人と食べるとおいしいのか

…私たちはお互いが何を感じているかということは決して知ることができない…にもかかわらず、場を共有している人たちの間で、「食事が楽しい」というような気分が伝播していく背景には、感覚の壁をこえてノンヴァーバルなコミュニケーションを実現する脳のメ…

盛りつけの美しさとおいしさ

「美しい」ということを人間の生の根源に立ち返って考えてみると、そこには、触り、撫で回し、舐め、食べ、同化するという食の様々な要素が立ち現れてくる。美しく飾り立てられたものがやがては壊され、食べられてしまうというはかなさの中に、単に「見る」…

おいしさの安全基地

人間の「おいしさ」の基準は、半ば生物学的に決定づけられた、半ば学習の結果得られた、脳内記憶過程によって決まる…イギリスの心理学者ボールビーは、幼児が安心して新しいことを探求するためには、母親のような保護者が「安全基地」を与えることが必要であ…

まだ見ぬおいしさを求めて

この間自分が、ちゃんと整理して頭に入れておきたい本が茂木健一郎さんの『食のクオリア』だ。2回読んだが、3回目は気になる部分の抜粋を以下に試み、それぞれに僕のいる世界からのランダムな感想を加えて、その抽出作業から、時間を使って何かが構造化さ…

[考えごと]911 今日は911の日。僕がこのblogを始めて間もない去年の今も911について書いたのだった。その頃を思い出してなぜかこの1年の時間がいとおしいキモチを抱いてしまった。昨日は通常国会の所信表明演説で安部首相がしょーもないことを言っ…

ローカルなルール

文脈主義を越えたらいろいろ整理ができてきた。が、まだ横たわっているものがあるな、と感じたのは、昨日とある財団のKさんの話を聞いてからだった。 まず、文脈主義のことを、Kさんとは別のある人は共同幻想と書いていた。主義主張宗教思想そのすべてが人間…

皆既月食

今日は皆既月食の日であったそうだ。しかし東京はカミナリ、どしゃぶり。ああ残念とシゴト帰りの電車の中でケータイの天気予報にアップされてる各地からの月の写真を眺めていた。投稿者のコメントが「ひさしぶりに癒されました」「子どもが喜んでいます」な…

流れる

智に働けばカドがたつ、情に棹させば流される。だからアホになる……と桑田が唄っていた。う〜ん、そういうのならウケる唄になるのね。要は自分がアホになってるの、みんなわかってるんだ。微妙。こういう唄っていいよね、って思う人、ラクだなぁ。こうして結…

3月だっただろうか、金沢にいったとき、叔母と従妹に誘われて、金沢現代美術館に立ち寄った。旧金沢城のまん前、旧い伝統文物がたくさん集まるどまんなかにその美術館はあって、新鮮に驚いた。ここにこうした施設がなかったころの金沢はどうだっただろうか…

メインフレーム

ベーシックな仕組みはだいたい合っているが、それだけではどうもうまくいかないから、それを補う意味のサブシステムを考えるべきだという考え方と、もう根本的にこんな仕組めでは立ち行かないから、その抜本的なことを変えようという考え方は、発想からして…

脳ミソに釣り糸をたらす

ぼんやり考えていたのは絵と詩と食。 描かない奴に何がわかるのかな、ってことや、今日作った料理から、ああ気持ちが開くってのはおいしい料理食べてるときなんだよな、って自分が思ったことでどういうことなのかってこととか。 理想のない現実主義者っての…

風景、美ってなんだろう

食と農を考えるポジションとして、風景と美を置きたい。 食と農をそのことだけで根を詰めすぎると煮詰まってしまう。たとえば世界共通のモノサシは何かという宿題をもらって食なり農業なりそれぞれ単体で答えを捜していったら、食はファストフード、農業は貿…

文脈主義からどんどん脱却だ

思えば僕は、けっこう長い間文脈主義に囚われていた気がする。 それは第一に、有機農業運動というものが文脈主義そのものだった。第二に、学生時代から権力への批判的姿勢のような観念が体に染み付いていること。第三に、自分に甘く人にキビシイという性格。…

幼児化という言葉

最近はまっているのが茂木健一郎シリーズなのだが、以下思ったことは本ではなくて何かの講演記録で話されていたことからの連想だ…… 講演で茂木さんが言っていたのは、“美”というものは個別的かつ主観的なものなので原理としてひとくくりに出来ないのだ、とい…

可能性を示す

長い引用だ…… アーティストは創造力を形にする。創造力を日夜思い巡らして生活しているので、世の中が正解と間違い、〇か×かだけではなく、たくさんのオルタナティブな道があることを知っている。アーティストの創造力はその結果や答えではなく、過程を大事…

イメージを追いかけることの答え

もともと絵ばかり描いていて、そんな自分が食の世界に入り込んでしまったのは運のつき。それでもなかなかにこの世界はオモシロイ。自分が頭を働かせるのを面白いと思ってしまって、今日まで来たような気がする。それは、この世界にも言葉にならない世界があ…

元気をもらっている

最近とても癒され、元気をもらっているblogがある。それを教えるのはとても恥ずかしいので教えない、が、僕はこのblog、そして家族に、元気をもらっているなぁと、普段から感じはじめていたのに、今日それがぴったりとした内容だったので、思わず転載…… 鬱々…

いろいろと錯綜

ここのところ更新頻度が低下しているワケがわかり納得した。 むちゃくちゃ暑いのも大きな理由なのだが、実はここ1カ月ほど、書きたいことがどんどん押し寄せて来ていて、それを追いかける時間と体力がなくて頭の中にあるものがどんどん置き去りにされ溜まり…

数字が風景に見える

今日はホントは8月15日じゃなく、17日の夜10時。書こうと思ったら昨日の夜中午前2時ごろに書き込んでいたので17日では書けないので強引に空いてる日付で15日ということに。さて昨日の夜中blog書き終わったときにテレビでピーターバラカンが面白…

機能主義、文脈主義を超えて

食や農を巡っての有機農業運動や環境保全からの取り組みは、畑や田んぼの外側のことを問題にしてきた面がある。「外からの悪しき流入」を農薬や化学肥料も含めできるだけ排除して、本来の循環の中に畑田んぼを位置づけて、それを評価しようとしてきた。こう…

美というもの

茂木健一郎さんの講演録を聞いて思いあたることがあった。それは美というものの存在についてだ。 まず、美というものは機能、性能というモノサシで計れるものではなく、また、美術作品の良さを評価するときに、その来歴や、作者の有名さ、もとよりその作品の…

美しい風景

自分の憧憬から出発している“おいしい村”のイメージだが、それを記して、ちょと考えを進めてみよう。幸い今日は扇風機の調子良く、僕のもう一つのパソコンはクラスターチェックとかを勝手にやり始めてしまい、シゴトができないので。 自分の憧憬は1991年に発…

う〜ん

毎日出来ごとが過ぎる。ああこれはおもしろいと思ったことも、口を閉ざせばたぶんほとんどが消える。その中で、動いている事実だけが積み重なっていく。ああこれは忘れてはもったいないと日記に記す、blogに記す。それらは残るだろうか。それらは時がたち振…

また台風が来ている

7月はほとんどblogに来なかったなぁ。秋田九州丹波北海道と長丁場のシゴトも終わり、たったおととい梅雨も明けたと思ったらまた台風だ。頭の中にはいろんな人や風景がインプットされっぱなしで整理つかず。 脳も溶け始め、これはオキナワモードかな。 ぐぐ…

核武装の彼

2007参院選。政見放送を何とはなしに眺めていたら、とんでもない候補者がいた。掲げているのはなんと“日本に核武装を!”だ。彼によれば日本は諸外国から様々に蹂躙されているという。核武装さえすればそれが解決するというのだ。南京大虐殺はウソで、総理大…