美しい風景

 自分の憧憬から出発している“おいしい村”のイメージだが、それを記して、ちょと考えを進めてみよう。幸い今日は扇風機の調子良く、僕のもう一つのパソコンはクラスターチェックとかを勝手にやり始めてしまい、シゴトができないので。
 自分の憧憬は1991年に発する。千葉県のとある農家を訪ねたときにはっきりと体に沁みついた。春の田植えから秋の収穫までを毎週ここをたずんてはレポートするのを仕事として与えられた僕は、イネの香り、稲穂が風にそよぐ風景に感動していた。

萌黄の緑から、
からっと乾いて秋空に映えるコガネ色の稲穂までが、
季節と共に微妙に変化していくさま。
訪れるたびに汗をかき、
おいしいおにぎりを振舞われ、
笑顔で楽しい酒を飲んだ思い出。
結構つかれた草取りや、
収穫後のイネを干す“はさがけ”の竹
切り出しに行って体中蚊に刺されて寝られなかった夜。
遊び心でつくってみた案山子、
昔とった杵柄とばかりゲージツ的仕上がり。

 それはさんぶ野菜ネットワークという団体で有機農業を進めている富谷亜喜博さんの田んぼでの思い出。
 僕がこの世界に新米として飛び込んだ1年目のこと。まだ30歳だった。風景というものが、単に車窓を走りすぎてゆく窓枠の向こう側のものではなく、体験や五感とともにあるということを実感した。よくよく考えると、畑や田んぼの風景というものは、その土地で昔から、こうした実感と共に暮らし育ててきたお百姓さんが作り上げてきたもの。人が自然に働きかけることで生み出される風景だ。あのときの僕は単にそれに乗っかって、その素晴らしさを教えてもらっただけだということにも気づかされた。僕の憧憬の第一点は、このようになんと言っても、風景なのだ。美しい風景を大切にしたい。“おいしい村”は、美しい風景を、眺めるだけでなく、何らかのかたちで守って、次の世代自分のこどもたちに伝えられるようにすることに繋がっていかなければならないと思う。
 であれば、“私の好きな風景”というテーマで、僕なりにその風景と、共にあるはずの“体験や実感”を記す作業を始めるのは意味のないことではないだろう。その上で、単に過ぎ去る旅人としての僕らを少しだけ抜け出して、たいそうなことは出来ないだろうが、何らかのかたちで働きかけるきっかけが見出されればと思うが……