web進化論3回目

buon-noson2007-06-07

 また読んだ。最近、読む本の気になるところにマーカーつけまくっている。これをキーワードとみなして羅列すれば、修飾を排した読者の興味のありかを反映すると思い転記してみた……

旧世代とは違うリテラシー(表現能力)を持った人たち 
wisdom of crowds」(群衆の叡知) 
情報そのものに関する革命的変化
この三大潮流は破壊的に作用する 
流れに乗って 
流れに身を任せた知的冒険は、きっと面白い旅になる 
経済の神経系ができ始める 
強気強気の資金調達と設備投資を繰り返して、業界全体の賭け金を吊り上げていた 
アマゾンのテクノロジー・インフラに寄生しなければ生きていけないような世界 
無償で公開 
ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢 
道具を人々の手に行き渡らせる 
「人々は善だ」という信念から始める 
アンチ・エスタブリッシュメント的気分とオプティミズム楽天主義)が交り合ったシリコンバレー精神 
地球上にあるネットに繋がった全てのものを一つの巨大なシステムとみなし、それらの提供する各種サービスをユーザーやプログラムからアクセス可能にするのがグーグル 
開放性を持った「あちら側」を利用したシステムと、完全に閉鎖的でなければいけない「こちら側」のシステムのコスト差が、一万倍、十万倍、百万倍と大きく広がってっていくというのが事の本質
ロングテールWeb2.0は表裏一体 
不特定多数無限大の自由な参加 
ほぼゼロコスト 
私たち一人ひとりの力など知れている。だから人生において何か意義のあることを成し遂げたいときには、誰かと協力しなければならない。もともと組織とは、一人ひとり異質な個々がそれぞれの持ち味を発揮し、全体として大きな達成を成し遂げる場として機能してきた。個にとって組織に属する意義とはそういうところにあった
言語化不可能な世界にこそ、人間ならではの可能性を見出そうとしている 
これから直面する難題を創造的に解決する力は、オプティミズムを前提とした試行錯誤以外からは生まれ得ないと信ずる 
アナロジーで理解しようとしてはいけない

……今さら読み返しても、と思いもしたが、この本はなかなか。(よいという意味)
 3回目にして若干の違和感を感じたことは「権威づけされたプロフェッショナルな情報と、オープンソースに象徴されるアマチュアの集積として洗練されるであろう情報との相克についてだ。
 梅田さんはこの作品(文章表現といい全体の構成といい単なる情報ではないと思う)で、旧メディアの情報提供システムの権威主義的な性格をオープンソースに対置させ、「情報そのものに関する革命的変化」がすでに起こったことを説明しているのだが。
 オープンソースのすばらしさはこの上なく、上記したように「情報そのものに関する革命的変化」であることを身体化しなければと思うことしきりなのだが、それでも僕はひとつのテーマを「個」の内面で可能な限り掘り下げた結果を、人類の知のその半歩先に辿り着きそうな、そんな知を知りたくて本を読む。その内容が、オープンソース集合知とかけ離れていたとしても、自分のアンテナとして大切にしたい気持ちが大きい。
 それとこれとは話が違うような、問題を混同しているような気がしないでもないが、知というものを牽引するのは、これまでも、これからも、突出した個人の内面なのではないかな、と思う。しかし社会システムとしての集合知がネットワーク化されて、その状態自体がエンジンとなってネットの「こちら側」を変化せしめるならば、個の知は意味がなくなってしまう。アナロジーで理解しようとしてはいけないとあるが、そら恐ろしい感覚をすら抱いてしまう。僕もやはり旧人類なんだと言われるか。
 また、知というものは、個の営為としての時間とも同軸なので、全世界数十億の個の知が“wisdom of crowds”で集合したうえ時間軸をも包み込んでしまうような巨大な多次元システムに埋もれる感覚を抱くよりも、視野狭窄ながらも、自分の辿り着ける人数分の“知”を拠り所として生きることが好ましいと思っているのである。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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