なぜ、人と食べるとおいしいのか

…私たちはお互いが何を感じているかということは決して知ることができない…にもかかわらず、場を共有している人たちの間で、「食事が楽しい」というような気分が伝播していく背景には、感覚の壁をこえてノンヴァーバルなコミュニケーションを実現する脳のメカニズムがある…私たちの体験は、感覚自体と、その感覚がもたらす感情的効果に分類できる…アメリカの哲学者、スザンヌ・ランガーは、かつて、「感情に関しては、心の垣根はない」と書いた。私たちは、感覚の質感(クオリア)については、絶対的なプライヴァシー(私秘性)の壁の中に閉じ込められているが、その一方で、様々な感情的効果については、壁を越えて自由に交感できるのである…

…「なぜ、人と食べるとおいしいのか」より

 脳科学者ならではの視点だ。僕たちが普段あたりまえと思っていることも、実は当たり前ではないということ。茂木さんが他の本でも講演でも何度となく指摘しているが、同じ“赤い色”を見ていても、その“赤い色”はそれぞれに違う質感でそれぞれに届くのであり、そのそれぞれが全く同じであることはありえないし、どう違うのかすら、原理的に確認ができないという。なのにどうして、人は何かを共有した気持ちになれるのか、人の気持ちを理解できるのか。なぜ、人と食べるとおいしいのかと、その答えが脳の不思議なメカニズムに結ばれていく。
 皿に盛られた料理が五感にもたらす“感覚”。これは個々の主観であり共感できない。が、その食べたことにより生まれる“感覚”が生み出す“感情”、食事を共にする人がもたらす“感情”、食事する場が与える“感情”が、本人にとって好ましい、心地よい“感情”として相乗的に作用して、共食によるおいしさがいや増すというのが茂木さんの説明だ。そう考えると、いかにおいしい料理でもそれを食べるシチュエーションがミスマッチだったり、食べる相手が大嫌いな奴だったりと、リラックスできない状況で、本来おいしいはずの料理が台無しになることもある。人は感覚だけで食べる動物ではないということだ。
 それは楽しく食を共にする、心おきなく共にして食事がおいしい友がかけがえのないものだということでもある。僕の場合、それはおうちごはん、長くつきあいを続けてきた生産者の皆さんとの食事、ということになるのかな。それ以外はどうも最近だめです。